テレビ タケオの太鼓演奏は昨年私が手伝ってDVDにしました。ここ数年のコンサートのビデオから、サバール、ジャンベだけでなく、アフリカのマリンバのバラフォン、それにピアノの即興演奏と即興ダンスを収録しました。そのDVDを今回ドゥドゥに見てもらいました。ドゥドゥは仕事から帰って食事までのひととき、40分近いDVDを全部見てくれました。世界のドゥドゥですから、ところどころ見て、よくがんばってますね、と言ってもらえるだけでもありがたいところですが、ドゥドゥは適当に見流すというふうではなく、写真のように画面をくいいるように見つめ、タケオの演奏が一区切りつくたびに何度も拍手をしてくれました。私はドゥドゥの誠実な人柄を感じるとともに、ドゥドゥが遠い日本でアフリカの太鼓を演奏しているタケオのことを本当に大事に思ってくれていると確信し、うれしくなりました。拍手 アップ
 ドゥドゥを表敬訪問した後、私は今回のドキュメンタリーのためにインタビューを撮らせてほしいとお願いしました。しかし音楽活動で飛び回っている彼には時間がない。ダカールにいる日も限られます。それなのに私たちはなんと幸運にもその後2回も彼を撮影できたのです。
 まずはセネガル相撲の好きな彼を追って、彼の自宅に近い競技場に行き、そこでタケオと一緒に観戦しているところを撮影。セネガル相撲にサバールはつきもの。各選手に応援のサバールチームがついて、闘志を奮い立たせる演奏をしていました。帰り道ドゥドゥはタケオの肩をずっと抱いて歩き、彼の家まで連れていってくれました。
 国外に演奏旅行に出かける前日には我々のインタビューに応じてくれました。そしてタケオと一緒にサバールを叩いてくれたのです。彼は微笑みながらタケオの太鼓に合わせてくれました。それはとても自然で、ドゥドゥがタケオをいかに愛してくれているかよく分かりました。インタビューで彼はなんどか強調していました。
「タケオが世の中にもっともっと知られるようにみなさんで援助してください」。
 ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ78歳。彼がセネガルで最初の人間国宝だということを知ったのは日本に帰ってからでした。
ドゥドぅさんとタケオ 
記念撮影
ドゥドゥとサバールを叩く

私たちが滞在したNations Uniesナッションジュニという地域をGoogleの航空写真で探しました。みつかりました。向かって右の大きな長方形の敷地は学校。その左上(北西)の直角三角形の空き地には小さなモスク(イスラムの教会)があります。右の端に見えている茶色の部分は団地建設中の敷地で、現在はブロック作りの住宅が並んでいました。海岸の砂浜にぽつぽつと見えるのは木を組んで藁とビニールで屋根を吹いた海水浴客のためのあずまやですが実際にはかなり壊れていて数が3分の1程度でした。左下に見える交差点は、我々がダカール市内に行くときにいつもタクシーを拾ったところ。拡大すると我々が泊まっていた3階建てのマンションも特定できました。
 この地域で木があるのはご覧のように学校だけです。それも乾期の今は、常緑樹の葉が砂ボコリですすけていました。大きな通りは車の通る中央部分はアスファルト舗装されていますが、人が歩く両サイドは砂のまんま。通りから横に入る道はほとんどが砂で歩きにくく、足が疲れました。家のすべてがブロックを積みセメントで固めたもので、この地域は建設ラッシュのようでした。海岸沿いのリゾートとして今まさに発展中なのかもしれません。
 下のURLをブラウザに入れ航空写真が見られれば、拡大縮小と移動で、ダカール全域、セネガル全域も見られます。砂漠の隣の草原地帯を開発し町をつくることで、一層乾燥してしまった「砂の町」、という印象でした。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&time=&date=&ttype=&q=%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB&ie=UTF8&t=h&om=0&s=AARTsJqB8QI_qtvxMzAotqa5VxT_iUoRdw&ll=14.772974,-17.417536&spn=0.039837,0.054932&z=14&output=embed%3E


左のタケオが叩いているのは、サバールと並んで有名なアフリカの太鼓、ジャンベです。セネガルだけでなく広く西アフリカ一帯で使われています。これも木をくり抜いたもので、ヤギの皮を張った部分はサバールより広く、朝顔型、つまり下は細くなっています。両手の平で叩きますが、叩く位置や手の格好によりいろいろな音色を出す事が出来ます。現地の子どもたちが叩いているサバールと比べて見てください。タケオはサバールと同じように、このジャンベもすでに10年間叩いています。
サバールとは、木をくり抜いた長い胴にヤギの皮を張った太鼓。利き手は柳の枝のバチで、もう一方は手の平で叩きます。バチは鞭のような鋭い音、手の平は叩き方で甲高い音や低く深い音を出します。そのリズムは複雑で変幻万化します。今回のワークショップはまずこのサバールの初歩的な叩き方から始まりました。
練習場所はダカール郊外の海岸、大西洋に面する砂浜です。海水浴客のためのものか手頃なあずまやがいくつかあり、それを利用して行われました。指導するのはワークショップを主催するドゥドゥの息子ワガン。弟のアブライが助手を務め、ファミリーの人たちが交代でいろいろ手伝っています。


ドゥドゥと

セネガルでの最初の日、タケオの今回の目的の一つ、セネガルの民族楽器サバールの神様といわれる世界的パーカッショニスト、ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ(Doudou Ndiaye Rose 78歳)さんとの再会が実現しました。
ダウン症のタケオは11歳のとき、ドゥドゥの息子アローナが「府中の森」で開いたサバールのワークショップに参加し、はじめてアフリカの太鼓に触れ夢中になりました。アローナはタケオの太鼓の才能を認めてくれました。その後ドゥドゥが彼のパーカッションオーケストラを率いて来日したとき、タケオはドゥドゥに会いコンサートにも飛び入り参加してサバールを叩きました。そのときからタケオの両親は、いつかはセネガルを訪ねタケオにサバールの指導を受けさせたいと願い「セネガル基金」をつくりました。多くの支援者がこれに協力し今回それがようやく実現したのです。(写真はタケオのTシャツにサインしてくれたドゥドゥさん)

タケオ(新倉壮朗くん)とセネガルに行ってきました。1月4日に成田を出発、23日に帰国。20日間のセネガル旅行の目的は、タケオとタケオの両親、そして「セネガル基金」に協力した多くの支援者の長年の夢、セネガルで開かれるアフリカンドラムとダンスのワークショップへの参加です。ここ数年、タケオのアフリカンドラムのコンサートを小型ビデオで撮影して来た私は、これを機会にタケオのドキュメンタリーをデジタルハイビジョンの作品にまとめるために、旧知のカメラマン常田高志さんとともに同行しました。
これからしばらくは、このセネガル取材について報告いたします。
(レッスンは写真右下の小屋で行われる。海は大西洋)

 記録映画監督、浜田英夫さんの名前は覚えていなくても。「若い心の詩」といえば、古い教育映画関係者ならほとんどの人が知っているのではないでしょうか。
 1969年(昭和44年)に、それまで12年間にわたって8ミリフィルムで撮りためた盲学校の記録をもとに、視覚障害の子どもたちの成長をつづったドキュメンタリーです。当時人気の出てきた盲目のフォーク歌手、長谷川清志を柱に、視覚障害者のおかれている現実、生活環境、教育や仕事の問題、そして先生と子どもたち、子どもたちどうしの友情が育って行く過程が描かれていて、何度見ても感動します。浜田プロダクションのデビュー作品で、その年の文部賞青少年映画賞、教育映画祭最高賞、そして毎日映画コンクール教育文化映画賞などを独占しました。浜田さんはこの映画の脚本、撮影、編集を一人でやっています。趣味の8ミリ映画からプロになった浜田さんだからこそできた作品です。 
 その浜田英夫さんと私は数年前にある人の紹介で知り合いました。といっても電話、手紙、そしてふだんはメールのやりとりばかりで、実際にお会いしたのは昨年1月の一回きりでした。
 最寄りの稲城駅に車で迎えにきてくださり、自宅に着くとパソコンの前に案内され、完成したばかりのDVD作品「人間が歩み始める時」12章86分を一人で見るように言われました。 浜田さんがはじめて挑戦した単尺の映像教材資料集で、浜田さんの映像制作50年を結集した作品です。前の晩の夜更かしとストーブの暖かさで幾度か意識を失いかけながらも、一章ごとにメモを取って見終えました。12章はそれそれ別の作品とも言えますが、全体としても「若い心の詩」と同じ浜田さんの子どもたちへの暖かい眼差しが感じられる一本の作品に仕上がっています。   
 この作品を遺して、浜田さんは昨年5月、78才で逝ってしまいました。

 今年2月から浜田英夫さんの映画を見る会を、地元で浜田さんと親交のあった方々と一緒に始めました。9月30日は稲城市で、12月2日調布で浜田英夫追悼上映会を開きます。詳しくは以下のブログでごらんください。(No.73)

■浜田英夫の映画を見る会
http://hamadahideo.blogspot.com/

■浜田英夫のページ(作品録、追悼文)  
http://hamadahideo-data.blogspot.com/

岡さん1
岡さん4
岡さん3
 「映像力」再開の最初にまずお知らせしなくてはなら
ないことがあります。
 昨年5月No.70「国営開墾地」で書いた岡秀雄さんが、
今年1月8日に嚥下障害(食べたものが喉につかえる)
という事故で亡くなったのです。96才でした。

 写真は昨年のフィルムセンター試写会の2ヶ月ほど後、
私が別ルートで入手した「国営開墾地」の映像を岡さん
にお見せしたとき撮ったDVからのものです。
 病気(認知症)のせいでいつもぼんやりしていた岡さ
んの表情が、映画が始まるや生き生きとして、ふだんほ
とんど見せたことのない笑顔が浮かびました。試写会の
ときのように、「いやー」「うーん」とつぶやきながら
目は画面に釘付けでした。もういちど、今度は話しを聞
きながらと思って2回目を上映したのですが、途中私が
話しかけても黙ってうなづくだけで、一回目と同じよう
に集中して見ていました。

 もっと何度も何度も見せてあげられたら、病気が改善
したかもしれないと思うと残念でなりません。(No.72)
なんと1年ぶりの更新です。
理由はいろいろありました。きっかけは、ブログのテーマ(カテゴリー)の分類整理をしようとしてうまく出来ず、何をどう書いたらいいかがわからなくなってしまったこと。
もう一つは昨年1月からSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)のMixiをはじめたこと。研究会や読書会、友人の追悼などのコミュニティ(メーリングリストのようなもの)を立ち上げたりして、すっかりはまってしまいました。

では再開する理由は、というとこれもいろいろあります。
一つは、最近必要になっていくつかの機関ブログ(個人のものでなく、会の活動など公式のブログ)をはじめたのですが、公式ブログにはなんでも自由に書くという訳にはいかないので、自分の見解を自分の責任で自由にかける場が欲しくなったというわけです。Mixiの対象は特定の仲間、目的はコミュニケーション。一方ブログの対象は不特定多数で、目的は広報や意見表明です。そうした使い分けが必要になってきたのです。
もう一つ、先日、某有名教材制作会社から、「映像力」をリンクしてもらっているある研究会のホームページからリンクをたどって、映像制作の相談があり、いまお手伝いをさせていただいています。これも「映像力」を再開する理由です。テーマ(カテゴリー)の整理の件は、別に今どうしても整理しなければならないことはないと、吹っ切れました。ではこれからもよろしくお願いいたします。(No.71)